黒の双極性障害の発病と学校生活における経過

双極性障害って何よ? 食えんの?

どうも、黒です。

私が双極性障害を発病し、その症状に振り回されてきたおかげで、楽しい楽しい学校生活を送れたことをお話したいと思います。
発病や症状の経過を見直すことで治療に役立つことが見つかるかもしれません。
あるいは、遺伝すると言われている双極性障害の因子が私の子どもたちに引き継がれたとしても、発病を予防する手立てが見つかるかもしれません。

スポンサーリンク

いつごろ黒は双極性障害を発病したのか?

率直に申し上げて、いつ発病したのかは定かではありません。

あ、いや、ちょっと待って、ウィンドウ閉じないで。
もう少しだけ読んで、お願い。

過去を振り返ってみて、双極性障害の症状と思われるものを初めて経験したのは、小学生の高学年くらいです。
双極性障害の診断を受けた今だからこそ、それが病気による症状ではないかと思うものの、当時は自分が精神疾患だなんて思いもよりませんでした。
発病していたとしても、通院していなければ診断はされませんし。

小学生以降、私はなん度も双極性障害と思われる症状に悩まされ続けてきました。

双極性障害を発病したと思われる小学生のころの症状と悩み

次のように、現在の抑うつ状態と似た症状が現れました。

  • 空虚感とか絶望感?
  • 脱力感とか倦怠感?
  • 活動量と運動量の低下

なぜだか上記と矛盾するような軽躁状態と思わしき症状も同時に現れました。

  • 焦燥感
  • イライラ感
  • 衝動的に行動する

躁状態とうつ状態が混合していたのかもしれません。

もうとにかく、なにしても、

ダルイ。
すべてが面倒。

死んだ方が楽なんじゃね?
ってくらい、

すべてがどうでもよい。

学校生活に馴染めないので不良の扱い

昨日まで勉強と部活に励んでいたかと思いきや、翌日から突然の寝坊で遅刻、悪ければ欠席。
登校しても授業中にボーッとしていたかと思いきや、いきなり妙な焦燥感とイラ立ちを覚え、ジッとしていられず衝動的に無断早退。

昨日まで普通にできたことが今はダルイ、どうでもよい。
普段はよくしゃべるのに、今は人と絡みたくない、会話をしたくない。
そして学校から逃げ出すように遅刻・早退・欠席。

まさに抑うつ症状と軽躁症状が混合されてできた賜物だったのだと推測します。

まったく嬉しくねーよ。

さらに、ふてくされた態度と就学状況のせいで、クラスメートや教職員からは不良の扱いを受けました。
本当はとっても良い子だったのに。
困ったもんです。

もともと間違っても真面目ではありませんが、それでも普通に学校に通いたいとは思ってはいたんですよ?

精神疾患だなんて思いもよらず、自虐的になっていく

私の不真面目な性格を考慮しても、さすがにこれは健常な小学生とは言えません。
意図的に社会に反抗しているヤンキー以外、周りにはそんな生徒はいませんでしたし。
いじめられちゃって引きこもりになってしまった生徒もいましたが、私はいじめられた記憶はないし。

まさか・・・私はいじめられていることに気がつかなかったのか?

しかし、

本人が「いじめられていない」と思っていれば、いじめにならない

という言葉を聞いたことがあります。

・・・なんか違くね?
いや、これが正しい。

双極性障害なんて診断されなきゃ分かりません

「長いこと精神的に不安定で困っていたのだけれど、精神疾患だということに気づけなかった」
「なんとなく病気かもしれないと思い立って病院へ行き、診断されるまで気づかなかった」

双極性障害に限らず精神疾患にはありふれた話だと思いますが、とても残念なことです。
身の回りに双極性障害に関する情報が少ない場合、このような状況に陥るかもしれません。

  • 病気そのものを知らないので、症状が出ていても自分が双極性障害であることに思い至らない、自覚できない
  • 周囲に双極性障害の知識がある人がいない、病気である可能性に気づける人がいない
  • 結果、病気に気づくのが遅くなり、診断や治療などの対応も遅れて重症化してしまう

私自身も例外ではありません。
自分が精神疾患ではないかと疑い始めたのは高校生になってからでした。

「もっと早く病気に気づいて治療を始めていれば、まったく違う現在があったのでないか?」

なんて思うことがあります。

うそです。

そう思うとやってられないんで、考えないようにしてます。

自分が双極性障害であることに気づかないと自虐的になってしまう

普段は勉強やら部活やらに励んでいるのに、ある日突然に抑うつ症状が出てやる気を失ってしまう。
努力してきた割には勉強も運動も成果が上がらない。
さらにやる気を失う。

抑うつ症状のときは起きるのもシンドイ、体を動かすのもおっくう。
遅刻・欠席を順調に積み重ねる。
先公に目をつけられ生活態度の評価も失墜。
ヤンキーとして扱われる始末。

この素晴らしきスパイラルによって私の評価は下がる一方。
まさに双極性障害の恐ろしいところです。

「ああ、俺はやる気のないダメなヤツなんだ」

そう思うようになってしまいました。
(実はもともとダメなヤツだということに気づいていなかっただけ)

さらには、自殺願望も出てきます。
あ、美味しそうな毒リンゴだー♡

こんな美人で巨乳の魔女が売り歩いているのであれば、毒リンゴでもなんでも喜んで買って食いますよ。

症状の自覚があった=発病していたと推測

小学生のころから症状の自覚があったということは、すでに発病していたと考えられます。
初めて受診した病院でも、発病していた可能性があると言われました。
もっと言ってしまえば自覚できなかっただけで、それ以前から発症している可能性があります。

これが本当に双極性障害の発病だったのか、今となってはだれにも判断できませんが、これが私の発病時期であると勝手に決めます。
今から20年以上前のことです。

中学校・高校・大学、それはそれは楽しい学生生活でした

診断される前までの学生生活についてもお話したいと思います。

え? 聞きたくない?

聞いて。

やはり、小学校と同じく、むしろもっと苦しい学校生活となりました。
めでたしめでたし。

ぜんぜん、めでたくねーよ。

勝手に大型連休を満喫していたヤンキー

年齢を重ねるごとに、双極性障害の症状は悪化していきました。
中学・高校では元気よく登校していたのに突然、寝坊・遅刻、給食を食ったら無断で早退のオンパレード。
あげくの果てに私だけ大型連休に突入。
なんてことをくり返していました。

はたから見たらただの不良。
余談ですが、同窓会で聞いた話によると、私は学校の不良どもから「裏の不良」と呼ばれていたそうです。

不良に表も裏もねーだろ。

そんな感じの学校生活なので、一部の友人以外は距離をとってくれていました。

・・・嫌われていた?

ので、人付き合いがそこまでストレスになることはありませんでした。

進路の選択肢が狭められた高校受験

中学校では就学態度が最悪ということで、またしても教員どもから「問題児」のレッテルを貼られました。

別に?

とか思ってたら、とんでもない。
進学の選択肢を取りあげられたのです。

高校受験のときのことです。
私を含めて学力が同じくらいの生徒6人が、同じ高校を志望していました。
その高校には5人の推薦枠がありましたが、私にはなんの説明もないまま他の5人の推薦入試が決定。

あれ? 俺は推薦してくれねーの?

担任を捕まえます。
私「なあ、先生、なんで俺だけ推薦入試受けらんねーの?」
先「なに言ってんだよ、あの欠席と遅刻日数じゃ無理だよぉ、説明つかないもん。勘弁してよぉ。」

先生、困ってました。

みなさん、学校はちゃんと行きましょう。

単位の取得に苦労した高校生活

高校も卒業間際という時期。
病状が悪化してきていたのでしょう。
躁うつの長期的な波の中に、1週間周期の波ができていました。

週末は元気。
週明けは不調で登校できず。

そのため、私は毎週月曜日を勝手に定休日として、週休3日制で過ごしていました。
大学進学にあたっては推薦なんぞ始めから諦めていたので問題ありません。
しかし、高校は単位制です。

出席日数が足りんのです。
月曜日に2時間連続で家庭科の授業があったとです。

致命的。

家庭科教師のクソババアが、
「あなた、出席が足りないから単位あげないわよ~。」
なんてほざくわけです。

顔の垂れた犬のようなツラをしたこのババアに、どうしても私は頭を下げることができませんでした。
で、所属していた部活の顧問から圧力をかけさせて単位を勝ち取りました。

月曜日に学校へ行けばこんなことにはなりませんでした。

みなさん、学校はちゃんと行きましょう。

高校でようやく精神疾患の自覚が芽生え始める

私は高校在学中に自分が精神疾患ではないかと疑い始め、精神科を受診することを考えるようになりました。
しかし、親の反対に合い受診を諦めました。
親は自分の子どもが精神疾患だと認めたくないのです。
私も自分の子どもに対して、病気であって欲しくないという思いがあります。
でも、

「あの時、病院に行っていれば・・・」
と、今でも思うことがあります。

嘘です。

大学受験はツルツルッと終了して浪人が決定

高校卒業後、初年度の大学受験はあっさり滑り浪人となりました。
生活時間が自由な上に、宅浪で人との絡みがなかったので体調は良く、抑うつ症状は出ませんでした。

翌年、自宅から最寄りの大学に合格して入学しました。
最寄りと言っても、通学に電車で2時間かかりますがね。

「大学生ほど楽で楽しいものはない」

 

なんて周りの人間に言われました。

本当、その通りですよ。

黒の楽しい大学生活の日課表

  • 6:00に起床
  • 自転車を15分こいで駅に到着
  • 7:00発の電車に乗り、2時間後に学校へ到着
  • 9:00から昼休みを挟んで17:30まで講義
  • また電車で2時間かけて帰る
  • 19:30~21:30まで地元で塾講師のアルバイト
  • 家に帰り22:00~翌日2:00まで学校の課題
  • 平日に終わらない分の課題は土日でやっつける
  • ※飯は食ったり食わなかったり

楽で楽しそうですね。

んなわけねーだろ。
楽で楽しいとか言ったヤツら、真似してみろや。

私は就職してサラリーマンになって、正直とても楽だと感じました。
でも残念ながら、今はサラリーマンができなくなってしまいましたね。

こんな大学生活が続くと思いますか?
少なくとも私には無理でした。

ましてや私は双極性障害。

1年目はなんとかダマシダマシで凌ぎました。
2年目はもう講義の内容もステップアップするし、バイトも増えるし、

スパーキンッ!!

抑うつ症状を勃発。

しかも、勃発のタイミングが体を無理させる期末試験前なんですよね。

とっても親切で寛大な大学の期末試験と、黒の黒い将来

試験を受けなければ単位は取れません。

追試?
そんな気の利いたものはありません。

結果、単位不足で留年します。
しかも2年間も。
単位を取るのがやっとで就職活動もろくにできず、応募できるのはブラック企業のみ。

みなさん、学校はちゃんと行きましょう。

大学は2学期制でしたので、この時に双極性障害の半年周期の波が形成されたと思われます。

「そんなに大変なら大学近辺にアパートでも借りて、バイトもしなきゃいいじゃん。」
て思いますよね。

私、昔から貧乏でして。
大学の授業料は安いので奨学金でまかなえましたが、生活面はバイトで生計を立てなければなりませんでした。
アパートの家賃なんて払えません。
自分の子どもたちには、こんな経験はさせたくないですね。

めでたく4年制大学に通う6年生になったので精神科へ行こう

このまま妙な健康状態を引きずっていては就職はおろか卒業すらできないと思い、親の制止を振り切って、ついに精神科を訪ねる決心をしました。

そして、双極性障害Ⅱ型の診断を受けました。
10年ほど前のことです。

診断以降については、別記事で詳しくお伝えしたいと思います。

え? もうお腹一杯?

まだまだ、私が壊れていくのはこれからですよ?
聞いてくださいな。

ここまで、ありがとうございました。

→ 双極性障害の目次ページへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました